「九州真宗の源流」福岡市博物館へ行ってみての感想

 こんにちはkorojonです

 今日1/11土曜、福岡市博物館に行ってきました。

 車で9:30到着、駐車場はガラガラでした。

 結構寒かったです。

 情けない話、、、

 2階でチケットを購入しようとしてビックリ

 ・・・あれ?、、、

 大人1500円。。。???(高大生1200円、中学生以下無料)

 200円だと思っていたのに

 チケットの販売員に確認したところ

「200円のチケットはあちらの通常の展示場になります。こちらは特別展になるので、大人は1500円です。」

 !!ショック 調べが足りなかった。。。

 まぁ、確かに、200円は安すぎますよね。。。

 絵伝・名号・御文章

 名号本尊(みょうごうほんぞん):仏壇に飾ってある中央の掛け軸

 だいたい南無阿弥陀仏とかいてあるか、もしくは阿弥陀如来の絵が書いてあるそうです

六字名号:南無阿弥陀仏(←お経盆によくありますね)インドのサンスクリット語?の発音を漢字にするとこうなるらしい。。。

 ちなみに「南無」とは、帰依するを意味し、「阿弥陀仏に帰依する」の意。帰依:信じる、すがる、頼る。つまり、南無阿弥陀仏と念仏を唱えるということは、阿弥陀仏を信じます。ということらしい。(余談ですが、日蓮宗の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、妙法蓮華経:教典のこと、つまり日蓮宗は、教典を信じますということらしいです)宗派によって考えが異なるんですね。。。

九字名号:南無不可思議光如来←あまり聞いたことないです。中国の漢語の発音らしい

十字名号:帰命尽十方無碍光如来←中国の漢語の発音らしい

 その他、木の仏像(阿弥陀如来?)、手紙、刀が展示してありました。

 正直、展示してあるモノより、その展示物の説明文を主に読んでいました。

 仏教の始まり 聖徳太子が少し

 天台宗(密教)から始まり、比叡山、延暦寺が少し

 親鸞上人の人生 8歳で出家、29歳で比叡山を下山 法然上人(浄土宗の開祖)を師と仰ぐ、法然・親鸞島流し 法然は高知、親鸞は新潟へ 5年後開放、新潟(結婚する)⇒関東⇒京都 90歳で亡くなる。

(島流しが高知は暖かいのでまだマシかと思うけれど、新潟は寒いだろうなと思います。)

(親鸞は結婚しているんですね。当時お坊さんで結婚するのってありだったんでしょうか?そのあたりが展示物からはわかりませんでしたが、浄土真宗は世襲が多いようです)

 石山合戦:石山本願寺と織田信長との戦いなど(僧兵が凄かったらしい。。。でも結局は織田信長には勝てなかったなどなど)石山本願寺は、室町時代に浄土真宗を再興した蓮如(れんにょ)上人8代目によって建立

 なるほどね~と思ったところ、本願寺が西と東に分かれた理由など

 顕如(けんにょ)上人11代目、顕如と三男の准如(じゅんにょ)は織田信長と和睦を主張し、長男の教如(きょうにょ)は徹底抗戦を主張し、対立していた。

 その後、織田信長は明智光秀によって本能寺の変があるわけです。←これがなければ浄土真宗は現代まで続かなかったかもしれませんね。。。

 11代目の顕如上人が亡くなり、長男の教如が後を継ぐことになりますが、、、、顕如の妻が豊臣秀吉に顕如の遺言に三男の准如に後を継がせたいと文を送り、三男が12代目となる。

 そして、徳川家康のときに、教如に寺地を寄進して、東本願寺を別に建てさせました。
この結果、本願寺は東と西に完全に分かれた。(仏教の勢力を弱めるために、家康の発想が凄すぎる)

 最後の方は、九州南部では、薩摩藩が浄土真宗を禁止していたが、隠れて信仰していたなど。まな板や、傘入れなどに名号を隠していたり。

 動画も数分間流している場もあり、ベンチも所々にあり。気が付けば2時間(9:30~11:30)集中して見て回っていました。足が疲れた。。。観覧者もまばらでゆっくり見ることができました。

 最後にちょっと不満があります、

 出口のすぐ横にいろいろなお土産が販売していました。サーっと見て回りましたが、浄土真宗と関係ない曼荼羅(まんだら)のクリアファイルや手ぬぐい、タオルらしきものがありました。

 イヤイヤ、それ密教でしょ!!(天台宗、真言宗の方でしょ。浄土真宗はそんなんじゃないよ!)と思いましたが、まぁ売れればなんでもいいんですよね。経済回さなきゃね。。。

 しょうがない。

 

 

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